小話:【脂肪の塊】普仏戦争とモーパッサン

令和2年4月12日(日曜日)9:30~の[読書会blue]第21回「脂肪の塊」はコロナウイルス感染防止のため中止となりました。

本来であれば会場でお話するはずであった小話の内容をこの場でご紹介します。

内容は

・普仏戦争について

・著者:モーパッサンについて

です。特に普仏戦争については登場人物を読み解くうえで参考になると思います。

課題本「脂肪の塊」を読み解くヒントとして見ていただけましたら幸いです。

参加予定の皆さんからいただいた感想はこちら

 

・普仏戦争について

普仏戦争(1870~1871)とは…フランス帝国とプロイセン王国の間で行われた戦争。

(プロイセン王国は現在のドイツ北部~ポーランド西部を領土とした王国。首都はベルリン。ここではプロイセン王国=ドイツという認識でOKです。)

 

1866年:普墺戦争(プロイセンとオーストリアの戦争)に勝利した結果、北ドイツ連邦を結成したプロイセン王国。

 

しかし、ドイツを統一するためにはドイツ南部のバーデン大公国、ヴェルデンベルグ王国、バイエルン王国との合併が必要…そこでプロイセン王国はドイツにとって共通の敵を想起することとなりました。

 

そんな1868年、スペイン革命により女王:イザベラ2世がフランスに亡命。プロイセン王国に連なるホーエンツォレルン家のレオポルトがスペイン国王の候補となります。

 

しかしレオポルトが国王になるとフランスは物理的にプロイセン勢力に挟まれてしまうためフランスは猛反対!レオポルトは国王を辞退します。

 

フランスはこれに飽き足らずプロイセン王:ウィルヘルム1世に対して未来永劫ホーエンツォレルン家から王位候補者を出さないよう要求。

その結果「エムス電報事件」が発生。(エムス電報事件とは…フランスの非礼を受け、プロイセン首相:ビスマルクが意図的に内容を刺激的なものに改ざん。フランス革命記念日の7/14に国内外に向けて発表した)

これにより、フランスとドイツ両国で不満が高まり開戦となりました。

 

結果は…プロイセン軍の圧勝。負けたフランスは高額な賠償金の支払いとともにアルザス・ロレーヌ地方を割譲することになりました。

普仏戦争の勝利によりプロイセンはドイツを統一。ドイツ帝国を樹立するのです。

普仏戦争はプロイセン軍が有利な戦争でした。

…というのも

・プロイセン軍には当時ヨーロッパ唯一の参謀本部があり、兵士輸送の鉄道もフランスより多かった

・周辺諸国の国がフランスに介入しなかった

のです。

当時のフランス人はプロイセンに対しての敵意識も非常にありました。

(背景にはそれまでのフランスの失策(メキシコ出兵、イタリア統一戦争で同盟国(イタリア)を失う、イギリスの金融危機(1866)により失業者増加、当時禁止だったストライキの頻発、ナポレオン3世の信頼失墜…などがあります)

フランス国内が非常に不安定な状況であったのも普仏戦争に繋がったのかもしれません。

 

実はこの普仏戦争、日本も少し関わっています。日本は1860年後半にフランス式軍制→プロイセン式軍制への変更を検討していたためです。日本人が初めて目にしたヨーロッパ列強同士の戦争であり、日本からも役人を観戦武官として派遣しプロイセン軍に従軍していました。

ヨーロッパ諸国の戦争に実は日本人も関わっていたのですね。

 

・著者:モーパッサンについて

モーパッサン(1850~1893)はフランス北部、ノルマンディ出身。

20歳のときに普仏戦争に従軍。戦後はパリへ戻り、働きながら作家の道を志します。

 

フローベルの弟子でもあったことから自然主義作家との交流を深めたことも後のデビューに繋がっています。

 

1880年、エミール・ゾラが中心となり普仏戦争を扱った同人作品集「メダンの夕べ」から「脂肪の塊」を発表し、文豪の地位を確立。その後は多くの作品を発表するも20代に罹患した梅毒が原因の頭痛や眼疾に苦しみ、社交界での疲労・薬物の乱用から1892年初め、ピストルによる自殺未遂ののちパッシーにある当時高名のブランシュ医師の精神病院に入院。翌年7月6日没、享年42歳でした。

 

故郷であるノルマンディ地方の風景を取り上げ、農民・商人・小役人など雑多な人々を書き出した作品を多く残しています。特に大衆に好んで読まれ続け、フランス文学のなかで最も翻訳の多い作家の1人。明治・大正期の日本の作家(国木田独歩、田山花袋など)にも影響を与えました。

 

さて、岩波版のあとがきには「ブール・ド・シェイフのモデルにはアドリエーヌ・ルゲー…」という記述があります。私も調べてみましたが確証をつかむ内容を見つけることができませんでした。

 

実はアドリエーヌ・ルゲー自身も娼婦。実際にモーパッサンとは面識があった人物のようです。

いろいろ文献を調べたうえで出てきたのが

「新聞記事の内容にアドリエーヌ・ルゲーの身体的特徴を借りた」説。

 

当時の新聞記事に「脂肪の塊」さながらの事件が掲載されており、その記事に目を通したモーパッサンが小説の構想のためにアドリエーヌ・ルゲーの身体的特徴を借り、よりリアルに肉付けしたのです。(諸説あり)

モーパッサンが多くの女性と関係を持っていたことも関係しているかもしれません。

その一方で当時教育を受けていない女性が生活できるほどの賃金を得ることは容易ではなかったこと、女は処女が財産であったこと、生活のためにやむを得ず身体を差し出すしかなかった人も多かったという背景もあります。

 

以上、

・普仏戦争について

・著者:モーパッサンについて

ご紹介しました。

「脂肪の塊」は小説を通して当時のフランスの様子を垣間見ることができる1冊だと思います。

「脂肪の塊」を読む際に参考にしていただけましたら幸いです。

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