第37回読書会blue開催レポート
令和5年6月25日(日曜日)9:30~ 高志の国文学館 研修室103にて[読書会blue]第37回「グレート・ギャツビー」開催しました。
課題本はフィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」
今回は上級者向けの課題本でしたが、その難題にもかかわらず多くの方に参加いただきました。
課題本の読了はもちろんですが、村上春樹版をはじめ他出版社の翻訳で読了された方、過去に映画を観た方、課題本を読了後に関連本・解説本も読了してから参加いただいた方など事前準備をされて参加された方も多くいらっしゃいました。
小話は
・フィツジェラルドについて
・舞台となった1920年代のアメリカについて
を紹介しました。
舞台となった1920年代はフィツジェラルドにとってデビュー作のヒットから結婚など華やかな生活を送っていた時期。小話ではそんなフィツジェラルドの半生から、1920年当時のアメリカ社会について、死後再評価されるきっかけについて紹介しました。
読書会では参加者それぞれの感想はもちろん、課題本だけでは消化不良に感じる方も多く、より理解を深めるために読了した関連本や他出版者の翻訳本を紹介し合う場面も多くみられました。
参加者からの感想を紹介します。(ネタバレ多数/一部抜粋しています)
・描写の洪水に圧倒された。
・ギャツビー自身が汚名を着た場面がギャツビーの「グレート」なところだと感じた。
・全体的にバブルな印象、虚構の繁栄。不倫など昼ドラのような雰囲気。年月が経っても人間の本質的なことは変わらない。
・ニックがギャツビーのことを「グレート」と思ったから「グレート・ギャツビー」なのではないか。
・ギャツビーの一生懸命さはわかるが、ロマンチストでナイーブ、いろんな人で印象変わる。時代や年齢、社会によって捉え方が変わるのでは。
・ギャツビーは自分と向き合えていない。
・フィツジェラルドはギャツビーとニックに分かれた印象。現実でもニックのような人物に認めてもらいたかったのでは。
・華麗というよりは狂乱。映画にもそのような様子がある。
・ニックがギャツビーを認めた。これが「グレート」なのではないか。
・登場人物のなかで一番グレートなのはキャサリン。
・デイジーに対する真剣な愛・強要する愛・犯した犯罪を受け止める愛。
・お酒についてもよくわかっているような描写。
・諸行無常、人間の変わらない本質。
・ギャツビーは繊細で情熱的。自業自得な死に方で問いている。
・ギャツビーのデイジーに対する思いは強引すぎるところもあるが純粋。ニックも惹かれているのでは。
・ハッピーエンドではないが夢を見ているときが楽しい。
・ニックという友人ができ、自分のことのように葬儀をやってくれた。これはギャツビーの人生にとってうれしいこと。理解してくれる人がいるのはよい。虚構を取り払ったときに友人がいることはすばらしいこと。
・著者はハッピーエンドが好きではない?
・テーマ性・登場人物が村上春樹の世界観と似ていると感じる。
・ギャツビーはデイジーのために芯のある行動ができる人。これがニックにとって華麗に見えたのでは。
・フィツジェラルド本人もパーティの経験がある。フィツジェラルド自身の批判的な目線もあったのでは。
・冒頭の文から、登場人物について思うことがあっても誰も批判してはいけないと感じた。
・自身がギャツビーと同じ状況であっても成り上がれないと思う。
・ギャツビーの純粋な思いが実際のデイジーを追い越してしまった。幻想が大きすぎた。
・デイジーはピンチや窮地に陥ったときにどうにもできない人物。
ほかには
・翻訳の違い(言葉のニュアンスや訳者独自の説明文の追加など)
・映画について
など、一歩踏みこんだ内容についても参加者それぞれの意見が飛び交い、充実した時間となりました。「グレート・ギャツビー」は関連本や他の翻訳の本を読むことでより味わいのでる本。またの機会に取り上げたい1冊となりました。
参加者の皆さん、ありがとうございました!
次回は2023年10月15日(日曜日)9:30~
課題本はヘミングウェイの「老人と海」
サンチャゴの生き様から溢れる情熱がとにかくカッコイイ1冊。
皆さんの参加をお待ちしています。
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