第28回読書会blue開催レポート

課題本は安部公房の「砂の女」
安部公房を読書会blueで取り上げるのは初!
とある部落に閉じ込められた男、同居することとなった女。
ざらざらした砂を感じながらの人間模様から湧き出る感情は、読者にもありありと伝わってきます。
「脱出」とは?「自由」とは?多彩な視点から見ることのできる課題本を今回は選びました。
本の中に登場するハンミョウの写真も持参いただきましたよ。

著者の言葉の表現の巧みさ、語彙力の高さは多くの方が挙げていました。
参加者からの感想をいくつか紹介します。
自由と不自由を考えながら読んだ。男にとって人の役にたつことが生きていることにつながっている。人間どんな環境にいても1つの心・思いによって決まる。第三者的に自分を見ることの大切さ。フランクル「夜と霧」にも共通することがあると思う。
いろんなエッセンス・捉え方ができる本。執筆当時、日本は高度経済成長期と重なっており、現代を風刺していると感じた。自分たちの日常を考えると、砂かきの仕事は一緒ではないか。現実も自由のようで不自由である。
あらゆる現象の本質がわかる本。自身の体験談を思い出しながら読んだ。
舞台「砂の女」を想像しながら読んだ。女は家の利権を守りきるために砂をかいている。苦から抜け出すとき自分が満足する選択する必要がある。夢や希望がなくても生きていればなんとかなる。
部落の人が神のような存在、ニワハンミョウはアダムとイブのりんごのように2人を舞台に引き込むような存在に感じた。迫ってくる死に対して抗っている。性的なシーンは原始的。都市に生きていると感じられないことである。
虫かごに捕らえられた印象。砂の集落に落とされた生活は寓意もあると思う。砂の手触りが伝わってくる表現力が圧倒的。ホラーより怖い心理描写。感情に殴られている感覚。
語彙の多さに感動した。男の心情がリアルに描かれている。逃亡時の砂の背景の描写が結末を道標のように予想している。ばあさん→30代女性、子宮外妊娠→異常。正常とは何か、普通を否定している。
洗脳、という恐怖感がある。ディストピア小説のように感じた。
女の欲しいもの:ラジオと鏡だったことが谷崎潤一郎の「春琴抄」を想像させる。罰とはとりもなおさず、罪のつぐないを認めることにほかならない。
読みづらい印象だったが、感覚的に理解できた。道標という表現に納得。砂の村がよくなるよう男が提案するシーンには優しさがみえる。人間は儚くて強い。比喩・例え・言葉の巧みさはもちろん、第三者的に自分を見ること・よりどころに面白い表現をしていると思う。フランクル「夜と霧」を思い出した。
ラストのシーンのあと女は部落に帰ってくるのだろうか。砂の描写は吊り橋効果。女は生活のためなんとかして男をつなぎとめなくてはならなかったが、幸せだったと思う。男は希望が変わり、最後は砂の部落の生活を楽しめるようになったのでは。生活が苦しくてもパートナーがいれば楽しい。
部落の人は優しい。途中までミステリー目線で読んだ。ニワハンミョウは男の生きがいだったが、極限状態ではどうでもよくなる。女がいなかったら精神的にまともになれてなかったかもしれない。当初の男の希望は逃げたいとあがくことだったが、のちに貯留装置が希望と変わっている。ラストの言葉は逃げる気がないけと強がりで言っているだけ。
結末が最初から分かっている話。砂のつきまとう感じがずっと残る。暗い印象。男が順応することがわかっていたことの恐ろしさを感じる。男は砂の部落に来てしまった1人のケースの話。現状に満足していない人が砂の部落に来たらどうなるか、を表している。(逆に現状に満足していたら居つけたのか)先に部落に来て亡くなった絵葉書屋は現状に満足していたから死期が近づいたのかもしれない。話の内容は人間の心情をあぶりだすためにわざとアリジゴクのような場所に設定したのではないか。
ほかには、
人間は流動的ではない、土に根を張って生きていかないといけない。男は砂の土に根を下ろすことにした。
タイトル「砂の女」は皮肉?違和感がある。
人間は過酷な環境でも生きていける。誰かに認めてもらう、心の持ちようで生きる糧になる.
など、時間いっぱいまで語り合いました。
砂の女は開催後も多くの感想をいただきました。
またの機会に再度課題本として取り上げたいです。
小話は
・著者:安部公房について
・砂の女の舞台
を紹介しました。
著者についてはもちろん、
こちらは後日ブログにて公開します。
参加者の皆さん、ありがとうございました!
次回は2022年2月20日(日曜日)9:30~
課題本は川端康成の「雪国」
繊細な文章から紡がれる雪の描写がとてもきれいな1冊です。
読書会blueでは課題本として取り上げるのは2回目。
皆さんの参加をお待ちしています。