第26回読書会blue開催レポート
令和3年8月14日(土曜日)9:30~ 高志の国文学館研修室103にて[読書会blue]第26回「春琴抄」開催しました。富山県内でもコロナ感染が広まり、ステージ3目前での開催でした。
谷崎潤一郎の著作を読書会blueで取り上げるのは2回目。
奇妙な男女の関係から見えてくるのはSとMでは語り切れない、もっと奥深いもの。
男女の愛だけでなく、著者:谷崎の結婚観や様々な視点から考察することができることから課題本に選びました。
今回の見どころは
男性・女性で意見がパックリ割れたところ!
女性:春琴が佐助を囲い込んでいるようで、佐助が春琴を囲いこんでいる。エゴや狂気を感じる。自分の春琴像を追い求めている。まるで偶像崇拝のよう。鳥の描写は春琴が自分と重ね合わせている。自分がキレイでいなければ鳥と同じ運命に遭うのではないか。
男性:春琴と佐助の愛を貫いた純愛物語。佐助は盲目となったが、生涯愛する人といられて幸せ(実際に春琴より20年以上長生きしている)。エロ・フェチが散りばめられていて甘美的。奇妙に見えるかもしれないがこれも一つの愛の形ではないか。
真逆の意見ですが、視点を変えるとどちらにも捉えられるんです。
一人読みでは気付かなかった新たな視点や気付き、読書会の魅力ですよね。
ほか話題となったのは…
谷崎はなぜ句読点のない文章にしたのか。
谷崎潤一郎は春琴抄の執筆中「いかなる形式を取ったら本当らしい感じを与えることができるか」を頭に置いていました。(谷崎潤一郎「春琴抄後語」より)
句読点のない文章は読み手を物語の世界に引き込み、本当にないものをあるように見せかけるため。(実際に佐助が目を突くシーンはとても見ていられなかった、という意見もありました)
そのためにも句読点はなくさなければならなかったのです。

ほかにも佐助の人間性の素晴らしさやラストの佐助の境地は「夜と霧」のフランクルが強制収容所で幸せを得るために感じた気持ちに近いのではないか、
春琴抄の世界観はあえて書いていないことが多く、それがこの作品も魅力ではないか、
など「春琴抄」の世界にどっぷり浸かる時間となりました。
小話は
・著者:谷崎潤一郎の夫婦関係
・盲人と三味線
を紹介しました。
春琴と佐助の関係には著者:谷崎の結婚観が投影されています。
こちらの小話は後日紹介します。
「春琴抄」は関連本も多数出ていますので、ぜひ参考になさってください。
参加者の皆さん、ありがとうございました!
次回は2021年10月10日(日曜日)9:30~
課題本はミヒャエル・エンデの「モモ」
案内はこちら
皆さんの参加をお待ちしています。