小話:【破船】破船から見る感染症の歴史

久しぶりの開催となりましたが、皆さんが思い思いに話す充実した時間となりました。
読書会blueでは毎回、主催者より課題本に関する小話を紹介しています。
今回は
・吉村昭について
・破船あれこれ(天然痘について)
について話させていただきました。順にご紹介します。
・吉村昭について
1927年東京・日暮里出身。妻は作家の津村節子。学習院大学中退後、働きながら作家を志し1966年「星への旅」で太宰治賞を受賞。同年発表の「戦艦武蔵」で記録文学に新境地を拓く。現場・証言・史料を周知に取材し、緻密に構成した多彩な記録文学、歴史文学の長編作品を次々に発表。海を題材としたものも多く、1980年前後を最後に近代以前の歴史作品に軸を移して多数の作品を残しています。2006年に死去。尊厳死を選んだのも記憶に新しい作家です。
↑写真は朝日新聞HPより
破船は雑誌「ちくま」で「海流」と題して1980.7~1981.12まで連載。1982年「破船」と改題して刊行。本人曰く「歴史文学の範疇に入るのだろうが、古記録に散見する短い記述によって書き上げた虚構小説」としています。※吉村昭「回り灯篭」より
破船は多くの言語に翻訳されており、吉村作品の中では最も多くの言語に翻訳された小説となっています。
・「破船」あれこれ
舞台となった島は佐渡島の風習と江戸時代の廻船業のルートを参考に創作。その際に江戸時代の古記録から構想しています。
荒天の暗夜の海で難儀する船を海岸に住む者たちが巧みに磯に誘って破船させ、積荷などを奪うことがひそかに行われていました(日本海沿岸や瀬戸内海周辺など)。当時の日本は貧しく「義理と人情のしがらみということすらが一般の民衆世界では余裕のある者の贅沢にほかならなかった」-それだけ生活が苦しい人たちがとても多かったのでしょう。
人々が特に恐れていたのが疫病です。
古来より疫病の流行期には神を祀り祈ることが行われていました。
今ほど医療も発達しておらず当時は祈る以外の治療法がないため疫病に罹った際には隔離が最善の策だと考えられていました。破船にもある感染を防ぐため天然痘に罹った者を船に乗せて海に流したのも隔離の一方法です。
ちなみに天然痘とはどんな病気かというと…
天然痘ウイルスが引き起こす感染性・致死性ともに非常に高い病気。感染者が吐く息や咳などの飛沫で汚染された空気を吸うことで人から人へ感染する。感染者が着用した衣服や使用した寝具などに触れることでも広がるが、罹患すると2度とかからない強い免疫性を持っています。日本には元々天然痘ウイルスは存在せず中国・朝鮮からの渡来人により感染が広がったと考えられています。6世紀半ば飛鳥・奈良・平安時代にはすでに存在しており、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には誰もがかかる病気となっていました。日本では1956年以降発生しておらず、1980年WHOより世界根絶宣言を発表しています。
死に至らなくても痘痕(あばた)が残ることで一生不縁に終わる女性たちや、失明し座頭や瞽女(ごぜ)となった者、世継ぎが死亡してお家断絶となった武士など悲話に枚挙をいとわなかった病気です。
ところで、破船のなかで赤の着物や調度品が出てくるシーンがあります。
実はこの赤色というのも意味があります。
天然痘の患者の周囲は衣類から調度、玩具に至るまですべて赤ずくめにする風習がありました。これは痘は赤きを良しとする(=発疹が赤いほど経過が良い)だけでなく痘鬼が赤色を嫌う(太古からの原始的観念では魔除け一般に赤色が使われていた)ことから。
古来より疫病の流行期には神を祀り、祈ることが行われている。江戸時代には「痘瘡」の流行期には疫病の神を祀ったり、痘瘡の神として特定の神を考えて祈願していました。(疱瘡神)
新型コロナウイルスがきっかけで「アマビエ」が流行ったように、人間の本質はずっと昔から変わらないのかもしれません。
読書会でお話した小話を紹介させていただきました。
本を読むことに加え、時代背景や著者についてなどを知ることで本の世界をより具体的に知ることができ、視野を広げることができます。
あなたの読書を更に豊かにするきっかけとなりましたら幸いです。