「若きウェルテルの悩み」のきっかけと影響
平成30年6月24日(日)9:30〜
高志の国文学館にて[読書会blue]第11回「若きウェルテルの悩み」を開催しました
読書会blueでは毎回課題本に関する小話をお話ししています
今回は
・ゲーテが若きウェルテルを書くきっかけ
・ウェルテルが流行したことによる影響
についてお話しさせていただきました。
若きウェルテルの悩みによってゲーテは小説家としても一躍有名となりますが、陰には自身の失恋と親友の死がありました。
ブログの中で読書会の小話を紹介させていただきます

・ゲーテが若きウェルテルを書くきっかけ
文学に理解ある父親に恵まれたゲーテは大学で法律を学び、22歳で弁護士を開業
父親の意向により帝国高等法院で実習するためヴェッツラーに移住
ヨハン・クリスティアン・ケストナー(アルベルトのモデル)
カール・イェールザレム(ウェルテルのモデル)
と親しくなります
そんなある日、舞踏会でヒロイン:ロッテのモデルとなったシャルロッテ・ブフと知り合います
ゲーテは恋焦がれますが彼女はケストナーの婚約者
諦めきれずにシャルロッテのもとを訪れますが、思い悩んだ末に彼らと距離を置くため別れを告げることなくヴェッツラーを離れ故郷:フランクフルトへ帰省することとなるのです(実際のケストナーはシャルロッテとゲーテの関係を寛容に受け止め、ゲーテとケストナーの信頼関係・友情関係は終始大きく揺らぐことはありませんでした。ここはウェルテルとは大きな違いですね)
帰郷後、カール・イェールザレムが人妻との失恋からピストル自殺したと一報が入ります(恋の相手は秘書官の妻:ヘルト。イェールザレムの一方的な片想いであり、彼女に絶交を言い渡されたことから失望、ケストナーから借りていたピストルで自殺に至った)
この体験から自身の失恋体験と親友の死を組み合わせた小説の構想を思いつき、「若きウェルテルの悩み」が生まれています。
さて、今回の課題本「若きウェルテルの悩み」は当時のヨーロッパで大流行しました。
当時の小説にはない「失恋して自殺する話」であったこと
手紙のやりとりを通じてストーリーが展開する書簡形式の小説が当時のヨーロッパで流行していたこと
識字人口の増大(1800年頃で男性50%、女性40%)により
主に若者の心を掴みました
その結果、こんな影響が出たのですね
・ウェルテルの悩みが流行したことによる影響
ヨーロッパ中で大流行した若きウェルテルの悩み
それによりこんな影響がありました
まずは主人公:ウェルテルが着ていた洋服
青い燕尾服と黄色のチョッキはウェルテルモードと呼ばれ当時のヨーロッパで流行しました
こちらはウェルテルのモデルとなったイェールザレムの出身地、北ドイツの伝統衣装となっています
本題はここから
ウェルテルを真似て自殺する者が続出しました
これには著者であるゲーテも危機感を感じていたようで
翌年の再販の扉には
「すべての青年はこのように愛さんとあこがれ、すべての少女はこのように愛されんと、あこがれる」
という語句を添え、さらに
「男であれ、そして僕のあとを追わないように!」
と自ら自殺賛美ブームに警告しています
現在でも著名人の自殺報道の後、それを真似た自殺者が続くことをウェルテル効果と呼んでいます
多くの人に読まれ、自殺が社会問題となるほど大流行した「ウェルテルの悩み」
著者のゲーテはたいそう儲けたのかというと実はそうでもなかったようです
当時は手刷り印刷が主流でいまほど部数も多く作れません
また、著作権の法的保護がなかったため多数の海賊版が流通
さらに当時は1冊を10人~20人で回し読みすることが主流でした
…文筆業で自立するのは今以上に大変だったのですね(パトロンに支援してもらう人もいたようです)
ちなみに日本へは明治20年頃に伝わり、明治20年~30年にかけて「ウェルテル熱」という言葉が生まれるほど当時の若手作家に熱心に読まれました
長文になりましたが(いままででたぶん一番長い)
「若きウェルテルの悩み」に関する小話を紹介させていただきました。
内容はもちろんですが、本を書くきっかけや由来など舞台背景を知るとさらに本を楽しむことができます。
「若きウェルテルの悩み」を手にした際は参考にしていただけると幸いです。
次回の案内はこちら
課題本はシェイクスピアの「夏の夜の夢」
募集は終了していますがよろしければご覧ください