夜と霧からアウシュヴィッツを考える

平成29年10月21日(土曜日)9:30~
高志の国文学館にて
読書会blue第7回「夜と霧」開催しました
読書会blueでは毎回課題本に関する小話をしています
今回はフランクルも移送された
・アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所について
・フランクルが辿った強制収容所
を話させていただきました。
今回はそのときに話した内容を更に濃く、
深くまとめました。長文です
・アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所について
歴史の教科書等でも見かけるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所はポーランド南部オシフィエンチムにあります
(https://wikimedia.org/wiki/File:Auschwitz-birkenau-mainからお借りしました)
ドイツの強制収容所なのになぜポーランドか?
それは
①ポーランドがヨーロッパの中心に位置しており、鉄道の接続が良いこと
②工業に欠かせない炭鉱や石灰の産地が隣接すること
③もともと軍馬の調教場であり土地の確保が容易
ということから、です
なお強制収容所の名前の由来は
ドイツ語が由来となっています
・オシフィエンチム=ドイツ語で「アウシュヴィッツ」
・ブジェジンカ=ドイツ語で「ビルケナウ」から
(モノヴィッツについては今回は省略)
なおアウシュヴィッツがこれほどまでに巨大化した背景には次第にドイツの戦況が悪くなりナチスはドイツ国内をはじめ各地の強制収容所を閉鎖。 残った囚人たちをアウシュヴィッツ等へ移送した結果収容スペースが足りなくなったために現在の大きさになった、という経緯があります
現在分かっているアウシュヴィッツのみの
犠牲者でも110万人以上
富山県の人口よりちょっと多い、というと
その規模が想像つくのではないでしょうか
(富山県の人口はおよそ105万人)
ちなみに第二次世界大戦中の強制収容所の
犠牲者数はおよそ270万人
北陸3県の総人口をちょっと引いたくらいの人数です(H29.9月で分かった人口を基に算出しています)
名簿に名のない犠牲者も多数いたので
実際の人数はもっと多かった、ということも忘れないように
さて、悪名高いアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所ですが、調べていると1944年10月にゾンダーコマンドによる武装蜂起があったことがわかりました
囚人であるユダヤ人達がナチス・ドイツに反旗を翻したのです
結果として鎮圧されてしまったのですが彼等が極限状態で撮影した写真が非常に印象的だったので読書会の中でも紹介させていただきました
武装蜂起を起こしたユダヤ人達はゾンダーコマンドと呼ばれ「特殊任務」に就いていました
ここで言う「特殊任務」とは
主に遺体の処理
ガス室で亡くなった人から金品等を回収
遺体を焼却処理し、残った骨を砕いて川に流す
ざっとこのような仕事です
彼らは3ヶ月~1年のサイクルで入れ替えられました
ここでの入れ替えは死を意味します
新しく就く者の最初の仕事は前任者の死体を燃やすところから、だったそうです
それだけナチス・ドイツが秘密にしておきたかっのでしょう
そのぶん食事等は優遇され、アルコールの提供もありました
全てを取り上げられ、惨い仕事を強制され、いつ殺されるかわからない
そんな状況下においてゾンダーコマンドが
秘密裏に外部からカメラを入手、強制収容所内部の撮影に成功しています
写真は1944年8月に撮影されました。4枚のうち2枚を載せています
(2枚の写真はこちらからお借りしましたhttps://en.wikipedia.org/wiki/Alberto_Errera)
1枚目はガス室内から焼却している様子を撮った写真
2枚目の写真はガス室にこれから入る女性を撮っていますが立ちどまることなく撮影しているためブレています
どちらも気づかれないように慎重に撮影を遂行したことがわかります
この撮影したフィルムは歯磨き粉のチューブに隠され外部に渡りました
命をかけて強制収容所の実態を伝えたかったことが伝わってきます
当時ユダヤ人の中にはナチスドイツの実態を知らない人々も多くいました
そんな状況で強制収容所やナチスドイツの実態を伝えてもピンと来ない人も少なくなかったと思います
しかし写真があるとどうでしょう
実際の様子がリアルに伝わってきますよね
写真が果たす役割の「大きさ」を感じました
…というわけで長くなったので続きます