第52回読書会blue開催レポート

令和8年4月19日(日曜日)9:30~ 高志の国文学館 研修室103にて[読書会blue]第51回「わたしが・棄てた・女」開催しました。

課題本は遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」

遠藤周作は「沈黙」以来2回目の課題本です。年度初めで忙しいなか、多くの方に参加いただきました。

 

読書会blueでは毎回課題本に関する小話を紹介しています。

 

今回は

・遠藤周作について

・「わたしが・棄てた・女」について

を紹介しました。

 

「わたしが・棄てた・女」は雑誌「主婦の友」にて12回連載され、1964年3月に刊行されました。当初のタイトルは「さようなら」でしたが連載開始の時点で「わたしが・棄てた・女」に改められています。1960年から2年半にわたり結核再発のために死と向き合う入院生活を余儀なくされ、3度目の危険な手術が成功して退院した後も体力が回復せず、半年あまり自宅療養していた著者が最初に取り組んだ長編小説です。

 

森田ミツのモデルとなった女性:井深八重については遠藤周作が学生時代に復生病院を慰問で訪れた際に知ったことがきっかけである。当時の心境について、遠藤周作は「感動した、やがて小説家になった時も彼女の人生を変形して小説に書きたい思っていた。」と語っています。実際には罪の意識を呼び起こすミツ的存在としてフランス留学の最後に親しく付き合い、結婚まで考えながら結核の悪化により余儀なく帰国し、そのまま日本で結婚したことで結果的には棄ててしまったフランソワーズという女性がいたことが著者の没後に分かっています。

 

併せてミツのモデルとなった井深八重についても紹介しました。

参加者の皆さんの感想を紹介します。

 

ミツや吉岡について感じたことから、当時のハンセン病の差別や偏見について、孤独や電現代の男女観についてなど様々な意見が聞かれました。

 

 

・終戦後のリアリティある描写

 

・まるで生の人間の心の内側をみているよう

 

・孤独の反対語を単語で言うとすると何か?

 

・トイレの臭い、わざとあえて書いている

 

・戦後の混沌、欲望、暗さ、醜悪さ

 

・吉岡のような人は現代にもいる、ミツと対比されているからより醜く見える

 

・ミツは聖女。美しすぎる、聖女

 

・キリスト教的実践。物理的解決ではない、苦しみを共有する

 

・ミツの痣→生痕。キリストのように献身しろという意味か

・ミツの行動は人に施すことに意味があるのでは

 

・舞台となっている昭和40年代の東京の様子がリアル。当時の東京は本当にこのような感じであった。

 

・「わたしが・棄てた・女」→女が男を棄てる話

 

・恋愛小説の範疇ではなく、宗教小説か

 

・ミツは死んでから意味を持つ。信仰のはじまりはこのような形で始まるかもしれない<

・吉岡は俗世間な人

 

・ミツは怖い、ラストの展開がホラーに感じた。好みが分かれるのでは。

 

・ミツが自身の役割を見つけたのは良かった

 

・宮沢賢治の世界観を思い出した

 

・人間の生きる辛さの共感が遠藤文学の特徴ではないか

 

・男女観、倫理観が現代と一緒

・ミツの俗世→病院に戻るところは世俗的な人とは異なる。当時の読者はどのように感じたのか。時代で多数派が変わるのでは?

 

・当時の大学生、社会人のさまがわかる

 

・森田ミツという人が近くにいたらどう思うか?実際は素晴らしい人には見えないのでは?

 

・ミツは自身が不幸にならないと人を救えないのでは?

 

・当時のハンセン病は死よりも辛かったのでは

 

・ミツとマリ子の境遇の違い、マリ子は終始変わっていない。変わったのはミツの心境が変化したから

 

・マリ子に嫉妬する場面は人間らしさを感じる、ドロドロして終わってほしかった

 

・病院に戻るのは帰る場所がなかったからでは。当時病院しか戻る場所がなかったから。

ほかには

 

・「孤独」の反対語、単語で言うならばなにか?→反対語は「つながり」では

 

・ミツのような人が実際にいたらどう思うか?

 

・ハンセン病について

 

 

など本を通して当時の価値観や男女観、社会問題からミツや吉岡の人物像、遠藤周作の宗教観からキリスト教についてなど多くの話題が飛び出しました。

参加者の皆さん、ありがとうございました!!

次回は2026年6月21日(日)9:30~

課題本は阿部公房の「方舟さくら丸」

皆さんの参加をお待ちしています。

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