第44回読書会blue開催レポート
令和6年10月24日(日曜日)9:30~ 高志の国文学館 研修室103にて[読書会blue]第44回「悲しみよこんにちは」開催しました。
課題本はフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」
読書会blueで取り上げるのは2回目!世界中に読み継がれているサガンの代表作ともいえる1冊です。
読書会blueでは毎回課題本に関する小話を紹介しています。
今回は
・フランソワーズ・サガンについて
・「悲しみよこんにちは」創作秘話
を紹介しました。
学校の勉強に興味を持てず、1年浪人ののち大学に進学するための進級試験(プロペドティック)を受けるが不合格だったサガン。周囲が夏のバカンスでパリを離れるなか、所在のなくなったサガンは自室やカフェなどで執筆し、約2カ月半で原稿を書き上げた。当初は本名で出版予定だったが、父親から実名の姓を使うことを許されなかったためペンネームであるサガンを用いるきっかけとなっています。出版当時、フランスは戦勝国とはいえインフレや冷戦など暗い事件が続いていました。そんな状況下での娯楽作品、かつ女性作家の活躍は非常に好意的に捉えられたのもベストセラーの一要因と考えられます。なお「悲しみよこんにちは」は1959年に映画化され、主演のジーン・セバーグの髪型はセシルカットとして大流行しました。
当時18歳で「悲しみよこんにちは」のベストセラーにより莫大な富を得たサガン。その後の人生は、派手な生活、交通事故、薬物依存、2度の結婚・離婚、晩年には預金を差し押さえられる金銭的に困窮するなど波乱万丈。彼女の人生は後に映画「サガン~悲しみよこんにちは~」というタイトルで映画化されています。
参加者からの感想を紹介します。(ネタバレ多数/一部抜粋しています)
奇妙な親子関係から父であるレエモン、アンヌに関すること、セシルに関することなど登場人物に関することに着目する意見が多く聞かれました。
・サガンは最初の作品が長命な人物
・エリュアールの詩がすごい
・1950年代のフランスの時代背景もベストセラーに寄与しているのでは
・主人公に違和感。セシルは直接手を汚していないので嘲笑っていても良いのでは
・罪を負っているのに罰を受けていない。本来なら最後まで責任を負うべき
・セシルは一生「悲しみよこんにちは」と思うのでは
・アンヌはセシルにとって抑圧される存在。そもそもセシルとアンヌは相性が悪い
・本来であれは父親も交えて直接アンヌに言うべきだった
・セシルは深い罪悪感持っていたのか?大人に対する反抗、抑圧への反抗。セシルはそんなに罪悪感ないのでは。結局日常に戻っていっている
・ずっと悲しみに負われるのか、アンヌを追い込んだけど自身に責任はあるのか、セシルは相反する感情を持っている
・作中のベルクソンの中にアンヌとセシルの隔たりを感じる。矛盾
・アンヌは愛情よりも規範の方が強い
・セシルが欲しいのは愛情。父親の愛情不足を感じる
・セシルは父親の一部
・気ままで単純なセシルと冷静で理知的なアンヌ、水と油のよう
・アンヌはなぜ父親に惹かれたのか
・サガンはボナール(画家)の人生に被るところがある
・アンヌはセシルが思っているほど完璧ではない、生身の人間
・冒頭の文章とラストが繋がっている
・悲しみの感情が自分が思っているほど深くない、良心の呵責とは無縁
・人の命が失われたにも関わらずセシル達は変わっていない
・父は女性からしたら魅力的な人物なのでは
・アンヌが死んでいるのに「悲しみよこんにちは~」にエッとなった
・アンヌを排除しようとするさまにセシルの未熟さを感じる
・父は父親の役割を果たしていないがセシルには必要な人、父でもあり友人でもある
・セシルは恋人よりも現在の生活を守りたい
・セシルには母親に対する言及がない、アンヌと自身の母との比較もない
・心の機微の描写、移ろいが変化の多いサガンと重なる
・友達みたいな父親、自分にはできない生き方をしている
・冒頭の書き出しが再読するとより深く感じられる
・オスカー・ワイルドの言葉が今後の行く末を暗示
・父親は大きな子ども
ほかには
・フランスの恋愛(結婚や恋人とのあり方から日本の結婚制度との違い)について
・登場人物についての考察(アンヌはなぜ別荘へ来たのか、レイモンの人物像など)
など、1950年代当時の平均寿命から「悲しみよこんにちは」の世界観を考えてみたり、参加者の意見を聞いたうえで、さらに一歩深く登場人物の考察をしたりといろいろな視点で語り合う時間となりました。
参加者の意見や考えを聞くことで自分では気づかなかった新たな気づきや視点を発見でき、より本の世界を楽しむことができますね。
参加者の皆さん、ありがとうございました!!
次回は2024年12月22日(日)9:30~
課題本は遠藤周作の「沈黙」
皆さんの参加をお待ちしています。