小話:太宰治と津軽
高志の国文学館にて読書会blue第19回「津軽」開催しました。

初参加の方も交え、津軽の内容から著者:太宰治の人物像、更には太宰治の憧れの存在であった芥川龍之介についてなど幅広い内容で話し合いました。
読書会で話し合った内容についてはこちら
読書会blueでは毎回主催者から課題本に関する小話を紹介しています。
今回は
・著者:太宰治について
・津軽執筆時の時代背景について
話させていただきました。
これから津軽を読む方も、以前読んだことのある方も参考にしていただければ幸いです。

・著者:太宰治について(課題本に関係する箇所を中心に紹介しています)
太宰治は青森県出身の作家。
本名:津島修治。
実家は使用人を常時30余名抱える県内屈指の財産家。そんな裕福な家の6男として生を受けます。
ペンネームの由来は諸説あるのですが「太宰府天満宮」から取った、という説が有力なようです。
芥川龍之介、泉鏡花などの作品に親しむ少年時代を送り、16歳ごろから同人雑誌等に小説、戯曲、エッセイなどを発表、作家を志すようになるのですが…ここからが波乱万丈の始まりです。
①憧れの存在:芥川龍之介自殺のショックから最初の自殺未遂
療養のため母親と大鰐温泉に滞在したエピソードが津軽の文中でも紹介されています。
その後東大仏学部に入学。井伏鱒二に師事するのですが、ここでまたしても事件が…
②芸者:小山初代と結納の次の日に女給と心中未遂
芸者との結婚は実家は大反対。分家除籍を条件に結婚を認められたばかりでした。
心中の末、太宰は助かりましたが女給は亡くなってしまいました。このときには警察も介入し自殺ほう助で起訴されかけたのですが、兄の助けにより不起訴となりました。
またこの当時、左翼活動に手を染めていた太宰治。
日中戦争も始まったばかりの時代に左翼活動はご法度。
ついには警察から実家の捜索を受けたことをきっかけに兄からいいかげんせいと絶縁を突き付けられたことから自ら警察署に出頭。左翼活動から身を引いています。
本文中で太宰治が兄たちを気遣っているのは世話になった負い目があるから、かもしれません。
その後も首つり自殺を図る、薬物(パピナール)中毒、離婚と波乱万丈の青年時代を送っていた太宰治に転機が訪れたのは
③石原美智子との再婚、でした。
これを機に三鷹に居を構えた太宰治は落ち着きを取り戻し、以降多くの作品を発表しています。

・津軽執筆時の時代背景について
小山書店「新風土記叢書」執筆のため津軽を旅行したことがきっかけでした。
このときの日本の状況は太平洋の日本軍守備隊が連合軍によって次々に撃破され、いよいよ本土決戦も近いという危機感に包まれていました。
このような状況で約3週間旅行+「津軽」を出版できたのは奇跡だったと思います。(当時は出版物が政府の許可制かつ政府の監督下で審査・用紙割り当てを行っていました)
ある雑誌社から故郷へ送る言葉を聞かれた際に「汝を愛し、汝を憎む」とコメントしているくらい故郷に並々ならぬ思いを持っていた太宰治。
「津軽」執筆の一昨年、生母の危篤のため帰郷し実家との関係が修復したこと、太宰治が意欲的に執筆活動を進めるなかで自身の集大成を意識していたことも故郷:青森への思いを文章にするきっかけとなったのかもしれません。

読書会でお話した小話をご紹介させていただきました。
本を読むことに加え、時代背景や著者についてなどを知ることで本の世界をより具体的に知ることができ、視野を広げることができます。
あなたの読書を更に豊かにするきっかけとなれば幸いです。