続:夜と霧からアウシュヴィッツを考える

前回の話はこちら(夜と霧からアウシュヴィッツを考える)
10月開催の読書会で話した小話の続きとなります
前回はアウシュヴィッツ強制収容所について話をさせていただきました
ここからはフランクルが辿った強制収容所と(追加で)ユダヤ人について話させていただきます
・フランクルが辿った強制収容所
フランクルはオーストリア出身
ウィーンの精神科病院に勤めていましたが
ユダヤ人であるが故に任を解かれ、
1942年にチェコのテレージエンシュタットに移送。
ここで家族とともに2年過ごします。
(実はユダヤ人を家族とともに移動させる、というのもナチスの手段の一つではあります)
テレージエンシュタットにはゲットーというユダヤ人を強制的に住まわせた居住区がありました
ゲットーとはユダヤ人隔離居住区
ユダヤ人を閉じ込めておく地域、ですね
人々はヨーロッパの各地域から連れてこられ過密な居住スペースに上下水道もない劣悪な環境で生活していました
当然そんな環境なので伝染病も蔓延し
弱い者は淘汰されていきました
テレージェンシュタットにて2年過ごした1944年10月、遂にフランクルはアウシュヴィッツに移送されることになります
そのとき妻は軍需工場で働いていたので強制収容所行きは免除されていたのですが、夫:フランクルについていくことを決意します
結果として、アウシュヴィッツで別れたのが最期となってしまいました
フランクルはアウシュヴィッツに3日滞在したのちにドイツのダッハウ強制収容所に移送、解放の日を迎えました
夜と霧は移送先のアウシュヴィッツからダッハウで解放を迎える日までの出来事を綴った1冊となっています
実はフランクルはテレージェンシュタットに移送される前年(1941年)にナチス当局からの通達を受け取り、軍司令部に出頭するよう命じられました。結果として収容所への抑留を1年延期されることになります。
当時フランクルは36歳
このことをきっかけに自分が積み上げた事例とそれを基にした新たな理論をまとめ、世に問いたいと考え執筆にとりかかります。
(この新たな理論は「死と愛-実存分析入門-」となって出版されています)
この間にアメリカ亡命できるビザを入手したのですが、愛する両親や妻を置いていくことはできませんでした
・ユダヤ人について
さて、なぜこんなにもユダヤ人は差別されているのでしょう
それは、
ユダヤ人が(間接的に)キリストを殺したからです。
↓こちらのサイトを参考にしました。
・「3分で分かる⁉︎ユダヤ人が迫害されたワケ」
イエスは宗教上の規則に固まっていた当時のユダヤ教における宗教改革を行っていました。それがあまりにも影響力が大きく、当時のユダヤ教の偉い方々の目に留まってしまい結果としてイエスは処刑されてしまいます
そのためキリスト教信者が多いヨーロッパでは長年迫害され続けてきたのですね。自分たちの信仰している人をユダヤ人は殺しちゃったわけですから
ユダヤ人は職人、店舗を構える商人ができず、土地も持つことができないので農業もできませんでした
生きる糧として選んだ職業が金貸し、いわゆる金融業です
ユダヤ人は生きるために就業していたのですがキリスト教徒としたら禁止されている金貸しをやるやつなんてとんでもないという発想になりますよね
ドイツは1871年にドイツ帝国として統一するまで300以上の領邦国家が分立していました
その中で各国の金庫番として一部ではありますが財を成す者が出てきます
↓こちらを参考にさせていただきました
・「知ってる人は実は少ない?ユダヤ人がナチスドイツに迫害された理由」
優秀であったばかりに、結果として言われのない反感を買ってしまい第二次世界大戦の悲劇が起きてしまったのですね
ちなみにユダヤ人の定義は
「ユダヤ人を母とする者またはユダヤ教徒」
父親がユダヤ人で母がユダヤ教徒でない場合、子どもはユダヤ人と認められません
長くなりましたが夜と霧からアウシュヴィッツを考えてみました。
そこから見えてきたのは
宗教の違いからの差別と
強制収容所の過酷な環境のなかでも現状を伝えたいとする人間の熱い思いでした
夜と霧を読む際に頭の片隅に置いていただけたら幸いです